TSUKADA TAKUYA ARAI

旧ARAIリゾート跡地エリア活用への挑戦

3度目の公売が終わった。平成27年6月10日に3者から公売価格を上回る入札があった。
これで旧新井リゾート(現妙高リゾート)は新しい一歩を踏み出すことになった。

TAK ARAI JAPAHO

 

 

 

 

 

 

 

 

 

巨額の負債を抱えたフィールドは、やはり巨大な資本によってフィールドの再生が行われるようだ。雪山愛好家の手で日本版クラブフィールドの設立に向けて動いてきが、出来ることに限りがあることが今回の応札により明確になった。

「大毛無山の魅力再発見ツアー」をきっかけに日本初のクラブフィールド化を目指してきたクラブフィールド妙高。4月20日に告示された妙高市の「不動産の一般公売について」で2度目の公売日時が決まった。その結果、3月にツアーに参加されたお客様をはじめ、沢山の方々からお問い合わせをいただいた「クラブフィールド化」を進めることが困難となった。

それから2ヶ月が過ぎ、先日の6月10日に開催された第3回目の公売で複数者より入札があった。落札したのは「ホテルアンドリーリゾート上越妙高」が18億円で落札(利害関係者の提により売却の正式決定がずれ込む可能性もある、妙高市は26日に売却を正式決定する予定*新潟日報平成27年6月16日)

 

二十数億円と言われる固定資産税の滞納などの問題を抱えていたことを考えると、行政税務サイドとしてはまずその税金未納分を徴収するという業務は当然だと思う。しかしこの二十数億円といわれる未納税金を支払い、その後スキー場として運営していくことは果たして現実的なのだろうか?仮に20万人の来場が仮にあったとしても、「十数億円という規模の売上では返済をしながらスキー場としての再生は現実的には不可能なことだと考えるのが一般的見解」2006年の破綻のきっかけの理由の一つに挙げられるのは、2008年のリーマンブラザースの経営破綻、2009年3月の株価の下落などがある。(日経平均株価がバブル崩壊後の最安値を更新「7054円98銭」)2006年から2年前の2013年まではまさに「箱はあれど人は無し」という廃墟に近い状態だった。先日来の金融政策で株価の上昇とともに新井リゾート復活?という話が登場しだした。しかし地元では「今回は本当なの?」大金が動くといって動いた試しはない。大手企業がやってきては消えの繰り返し・・・ウワサは先行するが地元は毎回、踊らされているばかり。という不満を抱えているということを地元の生の声として聞いている。

 

その一方、観光商工サイドとしては、施設をこのまま眠らせているより地元とともに行える活動があれば有効的に活用したいというニーズがあった。廃墟化して見知らぬ人が出入りするエリアでなく、管理者によって活用されている方が地元にとっても良いという考え方もある。

遊雪農商®によっての雪国の魅力再発見・再活用

遊雪農商®によっての雪国の魅力再発見・再活用

 

 

 

 

 

 

 

 

今年3月に実現した「大毛無山の魅力再発見ツアー」はその水面下の意見を元に、地域と一体となって進めてきた活動だった。このイベントをきっかけとして、地元と雪山愛好家がクラブフィールドとして、旧新井リゾートをフィールドとして活用しようという計画だった。クラブフィールドとは、ニュージーランドに古くから存在しいるクラブ員でスキー場・雪山フィールドを運営していく手法。フィールドに想いのある人々が集い、出資しメンバーとなる。自分たちが楽しむためのフィールドをメンバー自身が創造し、修繕や管理をしながら運営していくというやり方だ。

私は以前よりこの運営形態に興味というより憧れに近いものを抱き、2008年にFox peakという小規模だが歴史あるクラブフィールドを訪ね、そこのオーガナイザーのお宅でお世話になり学んだ。その後数年に渡りニュージーランドを訪れては、クラブフィールド巡りをしていく中で、コマーシャルリゾートすなわち営利を目的として経営を行うリゾートと、クラブフィールドの違いを探求していった。

ニュージーランドで体験したクラブフィールドという考え方及び運営形態を日本に導入できないのだろうかという想いは私の中で膨らんでいったが、日本という場所で実現するには様々な障壁があった。

四半世紀も前、まだただの杉林で建物など何一つなかった場所から、日本の新しいリゾートの形として提案すべく「新井リゾート」の立ち上げから関わってきた者としては、現状の新井リゾート跡地を訪れるたび、話を聞くたびに、忸怩たる想いがあった。

 

閉鎖した新井リゾートをそのまま復活させるような資金はどこにもない、しかしただ朽ちていく姿を黙って見ているわけにはいかなかった。そこでせめて何かアクションを起こせないだろうかと考えた時に、「クラブフィールド」という考え方・運営形態が日本で実現できる可能性を秘めているのではないかと考えた。それだけ新井リゾートという場所は、私自身が考える以上に携わった人、訪れた人に想いいれのある場所だったからである。

まずは、雪上フィールドの有効活用ができないかと企画した。そして2015年2月に「クラブフィールド妙高」の設立準備室が正式にスタートすることとなる。「クラブフィールド妙高」の設立準備室をスタートさせるにあたっては、同じ想いを持った方々に理解と信頼を得ることが必要であった。

サッカーに限らず、街に愛着を持つ有志に支えられるスポーツチームは「クラブチーム」と呼ばれる。「クラブフィールド妙高」はまさに同じ発想に基づいた雪の遊び場にしたかった。企業に頼ることなく、大毛無山を愛する人たちが集まってフィールドを運営する。そんな元新井の先輩、同僚、後輩も多数集まってくれた。

そしてそのテストケースとしてまずアクションを起こしたのが、「大毛無山の魅力再発見ツアー」慎重な行政も最終的には妙高市、妙高市教育委員会も後援となった。地元の矢代地域協議会は全面的に理解してくれ地元から応援をいただけるような形になった。

そして何より元新井リゾートの先輩、同僚、後輩、そしてご縁でであった同志から協力をもらったことが実現へと導いてくれた。

1993年 12月 ポパイ誌掲載、ARAIスタッフがふんどしを締めてポーズをしている。

1993年 12月 ポパイ誌掲載、ARAIスタッフがふんどしを締めてポーズをしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なぜそのように多くの人が集ってくれたのか・・・?

 

 

それは過去、この山を日本初のアプレススキーを楽しめるリゾートにしたい!と夢を描き私財を投資したスキーを愛してやまないオーナーがいた。そしてそのオーナーが掲げる理想郷に当時の多くの若者が賛同し、その夢に集まったからではないだろうか?

そのオーナーは、盛田英夫氏、父に戦後の日本の礎の一人となったSONYの盛田昭夫氏の長男である。1990年にアメリカコロラド州 Vail Resort でスキーインストラクターやコース設計のお手伝いをしていた私は、盛田オーナーに大変お世話になった。

新井リゾートOPEN前の開発期間の5年間、そしてOPEN後の2年間を務めあげ様々な企画や提案を行い実現させた。その後、盛田オーナーが再びリゾート復帰するタイミングで退社した。理由はスノーボードを世の中に広める使命を思ったからだ。(翌年の1996年 JAPAHO創立)

当時自分はラッキーにも、杉林の状態である新井の用地交渉、伐採申請…というありのままの状態から、当時日本を代表するリゾート開発に関わることができた。

通常の人では味わえないゼロからのリゾート開発。そのことが、後のJAPAHOという小さな会社経営にはもちろん、人生にも多大な影響を与えたことは言うまでもない。

また当時、ここに一攫千金を狙い参画した人々が大勢いたのを思い出す。「中越のリゾート開発の失敗をここで取り戻すぞ」と言っていた当時の外部業者の掛け声は忘れていない。しかし、この新井リゾートに骨を埋めてもいいという気概のある雪山愛好家、ARAIが好きな人々も沢山いたことも間違いのない事実であった。

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かく言う私も、新井がスキー場になる遥か前に、旧新井市(現妙高市)昭和63年頃に初めてヘリに乗りヘリスキーを経験した一人だ。そして大毛無山頂から見える久比平野の景色が気に入り、この山と地域の虜になった一人だからだ。

投資総額は400億円、実は1000億円?というような噂話はやまず、3回の公売手続き、そして8年越しの再開スタート? 過去もこれからもお金が投じられる新井リゾート。今回購入した人のみぞ知る未来の姿は一体どんなものになるのだろうか?

私は、「雪の上を滑ることが好きな人々の夢が実現されるようなリゾート」になることを切望している。それは海外のリゾートタウンのように街が形成されそこに定住してくる人々が増えるということも含まれる。

今年3月に開催した9日間の「大毛無山の魅力再発見ツアー」。参加された300名を超える方々から感謝の言葉を頂戴した。「ここを滑れるようにしてくれて本当にありがとう!」という 『沢山のありがとう』という価値を頂戴した。全国各地から、遠くは大分、四国からもお越し頂き、全国に 新井リゾートへの想いを持っている方々がいることを深く感じた。

 

宮本武蔵の言葉である。

 

百日の行いを鍛

千日の計画を錬

そして勝負は一瞬

 

百日前で昨年11月にクラブフィールド設立準備室が形になり

千日前で同志を集め、地元地域、行政、権利関係を詰め認めてもらい

一瞬、3月の9日間というかけがえのない時間を迎えた。

 

私は、今回のアクションにおける情熱とお金という勝負において、大毛無山を愛する人々「参加してくれた人、応援してくれた人、スタッフの情熱」がお金を上回り、勝負が決したと考えている。

ARAI TAK ALI

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お金だけでない、情熱という価値がそれを上回ったという事実を元に、これで一旦クラブフィールドをARAIで実現することの一幕を降ろそうと思う。

 

今後は、決まった手続きを経て、資金をベースにして解決しないといけないことが目白押しだ。まず数十億の資金投入、法的未処理案件処理、固定資産税、施設改善、等を解決し、地域と地元との折衝、スキー場として活用するなら、美しいものには棘があるという、ことわざの通りエリアを維持管理していく為の優秀なスタッフ、情熱ある人々が必要になるのは間違いない。

 

TSUKADA TAKUYA ARAI

 

 

 

 

 

 

 

 

公売という形で、資金投入して夢を実現していくステージに移行した旧新井リゾート。このステージもまたUNTRACKED(道なき道)。自分はもとより、大毛無山に魅せられた人々のためにもし役立てることがあれば、挑戦していきたい。

平成27年6月16(東京 青山にて)

 

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大毛無山の魅力再発見ツアーの終了のお礼

ラブフィールド妙高の前身となる「大毛無山の魅力再発見ツアー」にご賛同頂いた関係者の皆様、遠方より参加してくださったお客様、この度は本当に皆様の情熱、勇気を頂戴し、無事にこのイベントが開催できました事心よりお礼申し上げます。

ここまでの道のり様々な困難がありました。
「うわさの新井リゾート復活の話、今回も本当なの?」毎回こんな話からのスタートでした。
大金が動く、動く!と言いつつ2006年に経営破綻してから2015年までの9年間全く稼働することはありませんでした。
そんな中、様々な人達がやってきては再開のウワサはおこり消えていきました。
そして毎回地元は踊らされているばかりでした。

このような状況を打破したく、「旧スキー場跡地を有効活用できないか?地域経済活性化にスノーボーダー、スキーヤーらの雪山愛好家で出来る事はないか?」と考えた結果、この旧新井リゾート跡地において、日本版クラブフィールドとしての再利用という活路を見いだしました。

イベントの成功に至まで語り尽くせない難関がありました。
しかし地元、地域との相互理解を深めていく中で、共通の思いを分かち合う事ができ、最終的には「大毛無山の魅力再発見ツアー」を地元矢代地域作り協議会(地元10地域でつくる協議会)妙高市(妙高市観光協会、教育員会)、現状の土地所有者(妙高リゾート)より許諾を頂き実現する運びとなりました。

今回のアクションでの最大の財産は、地元の山に、再び情熱と愛情を注ぎ込むために、志しある仲間が集まったことです。この山をサポートしたい!という有志たちが奇跡的な縁で繋がり、協力の連鎖は次第に増え、ツアーが実施されました。

累積1000億円投じられたと噂される旧ARAIの費用。これを1/10000のお金でこの場所を再利用したのは、お金でない人々の10000倍の熱意の集合体という「お金で買えない価値」そのものだと考えられます。

お金も知恵も労働力も、そして楽しむ気持ちも、すべて参加する人たちが持ち寄る。
夢を共に描いたメンバー、来場していただいた全ての方々らと分かち合うことができた夢のが9日間でした。
300名を越える乗車は「ありがとう」と「笑顔」で包まれていました。

 
さて今後ですが、以前にもあった公売により所有者変更が行われれば「クラブフィールド妙高」は白紙の状態とならざるをえません。また以前のように大資本によりリゾートが再生されるのであれば、それは又一つの方法として地域にとってよいことかもしれません。

今回我々は『クラブフィールド妙高』としてイベントを開催し、自分たちの裏山を自分たちの意志で遊び場として管理運営することができたことを誇りに思っています。

今後このエリアがどうなるかは、私達にはわかりませんが、今回であった皆様とまた次回もこの旧新井リゾート跡地で再会できましたら幸いです。

この度は関わる全ての皆様に感謝するのと同時に、多くの事を学ばせていただいたこと、前に進む勇気を頂戴したこと、深くお礼申し上げたいと思います。

 
また「クラブフィールド妙高」として大毛無山に皆様と一緒に立てる事を祈って。
 
 
 
クラブフィールド妙高 
代表 塚田卓弥
 
 

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